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保寧の歴史

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古代史 & 朝鮮

三韓時代
  • 馬韓万盧国(三韓の78個の部族国家の形成期。三国志韓伝参考)
三国時代
  • 百済の結己郡新村県
新羅時代
  • 熊津都督府の治下に結城郡新邑県
統一新羅時代
  • 熊津都督府の治下に結城郡新邑県
高麗時代
  • 6代の成宗14年(995年)に10道制の改編によって河南道の熊州(現公州)保寧県
  • 8代の顕宗9年(1018年)に全国を5道に併合、統治する時、楊広道の運州(現洪城)保寧県
朝鮮時代
  • 3代の太宗13年(1413年)保寧県
  • 17代の孝宗3年(1652年)に都督府と昇格して水軍節度使が 副使を兼任
  • 17代の孝宗6年(1655年)に保寧県と降等され長拓, 金新,周浦,睦忠,明岩,青蘿洞、烏山外,青所の8個面を管轄
  • 26代の高宗32年(1895年)に地方管轄の改編により保寧郡と 改正、明岩面を雨羅面に、烏山外面を烏山全面に直し、金新面を鰲川郡に渡した。

現代

1914
  • 郡の統廃合令により、藍浦郡の郡内、 新安、北内、熊川、高邑、払恩、拾義、北外、沈田の9カ所の面と 鰲川郡の天洞、河南、河西、天北の4個面と結城郡の架山面の 竹県、農県、紺里、新里、馬村、店村の6個里、鴻山郡の上西面の 自明里を併合して保寧郡に改編 周浦面新星里(現保寧里おにあった郡庁を大川市大川洞 170番地と移転し、大川、周浦、鰲川、川北、青所、 青蘿、藍浦、熊川、珠山、嵋山面の10個面の111個里と改編、管轄
1963
  • 1月1日法令第1177号により大川面を大川邑に昇格
1970
  • 7月27日の郡条例の第198号で嵋山面で聖住出張所を設置
1971
  • 2月1日の郡条例の第212号で舟橋出張所を設置
1983
  • 2月15日の郡条例の第805号で鰲川面の挿矢島里中外波水島、内波水島,外島を瑞山郡安眠邑に、鰲川面葛峴2里を蓮池里にして周浦面に編入
  • 12月22日の郡条例の第838号で鰲川面の漁港出張所を設置
1986
  • 1月1日の法律の第3798号で大川邑が大川市に昇格し、保寧郡から分離、6個の行政洞、10個の法定洞に67統214個班を管轄
  • 3月27日、大統領令第11874号によって嵋山面聖住出張所が聖住面に昇格
1989
  • 4月1日郡条例の第1134号で周浦面の舟橋出張所が舟橋面に昇格
1990
  • 9月19日、大川市の条例の第293号により、興徳洞8個統26個班を10個統40個班に増設
1991
  • 12月31日、大川市の条例の365号により、元,大冠,大新,興徳,玄浦洞に 9個統、39個班を増設
1992
  • 7月30日大川市の条例の420号により、4個統、13個班を増設
1994
  • 2月4日、郡条例の第1350号と元山島出張所を設置
  • 10月1日、現庁舎の鳴川洞の269ー4番地に移転
  • 12月26日、大川市の条例466号により、2個統9個班を増設
1995
  • 1月1日、法律第4774号で大川市と保寧郡を統合市、保寧市に改名
  • 3月2日、保寧市の条例第138号で熊川面から熊川邑と昇格
1997
  • 11月15日、保寧市の条例第247号により"現在"1邑10個面 6個洞233個里、93統1、110個班を管轄
1998
  • 10月28日、保寧市条例第322号により行政洞名中"王大洞“を"玄浦洞" に統合
1999
  • 7月20日、保寧市条例第368号により行政洞の名称を元洞を大川1洞 大冠洞を大川2洞に、大新洞を大川3洞に、興徳洞を大川4洞に、玄浦洞を 大川5洞に変更
2005
  • 10月20日、保寧市の条例第624号により1邑10個面 5個洞235個里、104統1、162個班を管轄
2007
  • 7月10日、保寧市の条例第704号により1邑10個面 5個洞235個里、105統1、172個班を管轄
2008
  • 12月30日、保寧市の条例第791号により1邑10個面 5個洞235個里、106統1、181個班を管轄
2009
  • 7月10日、保寧市の条例第825号により1邑10個面 5個洞235個里、109統1、203個班を管轄
2011
  • 4月20日、保寧市の条例第906号により1邑10個面 5個洞235個里、113統1、207個班を管轄
2013
  • 9月23日、保寧市の条例第906号により1邑10個面 5個洞235個里、114統1、214個班を管轄